仙台高等裁判所 昭和41年(う)324号 判決 1968年12月24日
被告人 高橋秀治
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、被告人名義ならびに弁護人樋口幸子及び同高橋清一共同名義の各控訴趣意書に記載されたとおりである(ただし、被告人名義の控訴趣意書一六枚目表二行目に「仮判決」とあるのを「原判決」と訂正する。)から、それぞれこれを引用する。
一、控訴趣意中理由不備ないし理由のくいちがいの主張について
(一) 証拠理由の不備ないしくいちがいの主張について
原判決が、判示事実認定の資料として、証人片方秋雄の原審公判廷(第八回公判調書)における供述(以下「片方秋雄証言」という。)と被告人の原審公判廷(第一回、第六回、第八回及び第一二回公判調書)における供述(以下「被告人の供述」という。)をもかかげていることは所論のとおりである。しかしながら、原判決引用のその余の各証拠と対照して片方秋雄証言及び被告人の供述を検討すると、原判決は、片方秋雄証言については、片方秋雄は当時花巻バス労働組合北上支部副支部長であったが、被告人が判示花巻バス北上営業所車庫内に立ち入り、同車庫に格納中の乗合自動車のうち五台分のエンジン始動鍵(以下「エンジンキー」という。)を保管することに関し、花巻バス労働組合北上支部長である被告人より相談を受けたことがない旨及び昭和三九年五月二七日朝被告人が前記車庫事務室で浅沼次長に鍵二個を渡し、同人よりまだ鍵が足りないといわれたところ、被告人がそれは車にあるから今行ってつけてくるといつて出て行つた旨の部分を、被告人の供述については、同月二六日夜右営業所内休養室で開かれた花巻バス労働組合北上支部集会において、争議戦術として、格納中の乗合自動車のエンジンキーを保管してはどうかとの意見も組合員から出されていたところから、花巻バス労働組合北上支部長であつた被告人は、前記車庫内に立ち入る以前より、右エンジンキーを抜いておこうという考えを抱いていた旨及び被告人が同月二七日午前一時ごろ前記車庫の立入禁止の表示を付したロープが張られていた出入口から同車庫内に立ち入つた旨の部分をそれぞれ有罪認定の資料としたものと解するのが相当であり、片方秋雄証言および被告人の供述には右各部分と矛盾する供述は存しないことが明らかである。してみると、原判決に所論のような理由不備ないし理由のくいちがいがあるということはできない。論旨は理由がない。
(二) 被告人が原判示北上営業所内に立ち入つた経路に関する判断遺脱の主張について
原判決が、被告人において判示北上営業所車庫内に立ち入つた経路について何ら明示するところがなく、また、右経路に関して検察官の主張と被告人及び弁護人の主張とが対立し、原審の口頭弁論における重要な争点の一つとなつていたことは所論のとおりである。しかしながら、原判決をその引用証拠と対照して通読すると、原判決は被告人が前記車庫東側の立入禁止の表示を付したロープが張られていた出入口から同車庫内に立ち入つたと認定した趣旨であると解するのが相当であるから、所論の理由不備の主張はその前提を欠き、採用することができない(なお、被告人が前記車庫に立ち入つた経路に関する被告人及び弁護人の主張が刑事訴訟法第三三五条第二項にいわゆる「法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実」の主張にあたるものでないことはいうまでもない。)。
二、控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について
(一) 被告人の司法警察員に対する供述調書(以下「被告人の供述調書」という。)の任意性及び信用性について
証人葛岡嘉造及び被告人の原審公判廷(第一二回公判調書)における各供述によれば、当時北上警察署警備主任であつた葛岡嘉造は、被告人を取り調べるにあたり、被告人に対し供述拒否権のある旨を告げたうえ、被告人の供述が手許にあつた浅沼良治及び後藤忠司の司法警察員に対する各供述調書と合致するかどうかをたしかめながら、被告人の前記車庫内立入りに関して被告人の供述を求めたのであるが、被告人は供述を拒みたい事項については供述を拒否したこと、葛岡嘉造は被告人の供述を録取したのち、その内容を被告人に読み聞かせたうえ、被告人の署名指印を得たのであつて、被告人の手を取つて指印させたようなことはないことを認めることができる(右認定に反する被告人の供述は信用することができない。)。また、被告人の供述調書を原判決引用のその余の各証拠と対照すると、原判決は、被告人の供述調書のうち、被告人が当時花巻バス労働組合北上支部長の地位にあつたとの点、被告人が昭和三九年五月二七日午前一時ごろ判示北上営業所東側の立入禁止の表示を付したロープが張られていた出入口より同車庫内に立ち入ったとの点、当時は同営業所浅沼次長が宿直勤務にあたつていたとの点及び被告人が同車庫に格納中のバスのうち五台分のエンジンキーを取りはずし、うち二台分を被告人のポケツトに納め、残り三台分を各車内のスピードメーター上に置いたとの点に関する部分を有罪認定の資料としたものと解するのを相当とし、この限度において、被告人の供述調書は十分にこれを信用することができるものと認められる。記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、被告人の供述調書の任意性及び右限度における信用性に疑いを抱かせるに足りる証跡を発見することができない(なお、控訴趣意中には、証人葛岡嘉造の前記供述に信用性がないと主張する部分があるけれども、原判決引用のその余の各証拠と対照すると、右供述は、被告人の供述調書の任意性及び前記の限度における信用性を肯定することができる範囲において、十分にこれを信用することができるものと認められる。)。論旨は理由がない。
(二) 保証法則違反の主張について
原判決が、事実認定の資料として、証人浅沼良治、同後藤忠司、同藤村賢四郎、同八重樫盛、同八重樫與、同片方秋雄及び同葛岡嘉造の原審公判廷における各供述をかかげていることは所論のとおりである。しかしながら、片方秋雄証言のうち原判決が有罪認定の資料に供した部分は前記一、(一)掲記の部分にとどまるものと解するのが相当であり(なお、右部分が検察官の主張にのみ符合するものとの所論はあたらない。)、また、証人葛岡嘉造の供述は被告人の供述調書の任意性及び前記二、(一)掲記の限度における信用性を肯定することができる範囲において十分にこれを信用することができることはすでに認定したとおりである。さらに、証人浅沼良治、同八重樫盛及び同八重樫與の各供述経過には、「記憶がない」とか「はつきりしない」とする旨が多数存すること及び証人浅沼良治及び同後藤忠司の各供述のうち、被告人がエンジンキー二個を浅沼良治に差し出した時刻に関する部分が後記のように信用し難いものであることは所論のとおりであるけれども、右各証人の供述を総体的にみると、所論の証人伊藤哲夫、同川辺久男、同藤田友司、同桜庭健朔、同菊地昌、同内山光雄、同飯野数雄及び同菊地寛二の原審公判廷における各供述ならびに被告人の供述及び原審において証拠調を経由した弁護人請求にかかる各書証と対照して検討しても、原判決に所論のような採証法則違反ないし経験則違反があると断定することはできない。所論は、つまるところ、原審の専権に属する証拠の取捨選択を非難するに帰し、これを採用することができない。
(三) 公訴棄却の主張について
所論は、被告人に対する本件公訴の提起は、組合活動に対する弾圧であり、憲法第一四条に違反し、公訴権を濫用してなされたものであるから、原審は刑事訴訟法第三三八条第四号(弁護人樋口幸子及び同高橋清一共同名義の控訴趣意書九四枚目表六行目に「第三三八条四項」とあるのは「第三三八条第四号」の誤記と認める。)により公訴棄却の判決をすべきであつたと主張する。もとより、検察官が正当な組合活動を抑圧する意図にもとづいて公訴を提起したときは、憲法第一四条、第二八条の法意にかんがみ、その公訴提起は公訴権の濫用にあたり、刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴提起の手続が無効であるとして判決でその公訴を棄却すべきものであることはいうまでもない。しかしながら、記録により原審における訴訟の経過をみると、検察官は、第一回公判期日において、起訴状記載の公訴事実に関し、被告人の侵入行為は花巻バス労働組合が昭和三九年五月二七日午前〇時から行なつていた二四時間ストライキと全く無関係とはいえないが、被告人の個人的な単独行為とみるべきものであつて、右労働組合の集団行為とみることはできない旨を釈明しているのであり、第二回公判期日でなされた検察官の冒頭陳述及び第一三回公判期日においてなされた検察官の意見陳述をも参酌して考察すると、検察官が所論のように正当な組合活動を弾圧する意図にもとづいて被告人に対する公訴を提起したものとは認めることができないから、所論はその前提を欠き、これを採用する余地がない。
(四) これを要するに、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、原判決に所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反は存しない。論旨は理由がない。
三、控訴趣意中事実誤認の主張について
(一) 被告人が原判示北上営業所車庫内に立ち入つた時刻について
原判決がかかげている各証拠を総合すると、被告人が昭和三九年五月二七日午前一時ごろ判示北上営業所東側の立入禁止の表示を付したロープが張られていた出入口(以下「表口」という。)から同車庫内に立ち入つたうえ、同車庫に格納中の乗合自動車(以下「バス」という。)のうち、車庫東側に置いてあつた二台分及び同車庫内南側に置いてあつた三台分のエンジンキーを取りはずし、右二台分についてはこれを着衣のポケツトに納めたが、右三台分についてはこれを各車内のスピードメーター上に置いたとの事実は、十分にこれを認めることができる。被告人は、原審(第六回、第八回及び第一二回公判調書)及び当審公判廷において、右五台分のエンジンキーを取りはずしたのは、同月二六日午後一一時ごろ判示営業所南側の遮断機が設けられていた出入口(以下「裏口」という。)から立ち入つた際である旨供述しているけれども、被告人の右供述によれば、被告人は、同月二七日午前〇時から行なわれた花巻バス労働組合(以下「組合」という。)の二四時間ストライキに対抗するため、会社側(花巻バス株式会社をいう。以下同じ。)がいわゆる職制ないし第二組合員を使用して、前記車庫に格納中のバスを搬出する挙に出るのではないかを危惧し、かつは同日午前一時ごろ同営業所の所長及び次長あるいは第二組合員らが休養等に利用していた後藤屋食堂を経営する後藤忠司が深夜にもかかわらず同営業所を訪れたことに不審を抱き、間もなく表口から同営業所内に立ち入つたものであること及び右の時刻に同営業所に立ち入るに先立ち、同営業所車庫付近や国鉄北上駅付近あるいは後藤屋食堂付近を見廻つたが、会社側職制ないし第二組合員の姿はみあたらなかつたことという情況的事実に徴すると、同月二六日午後一一時ごろに裏口から同営業所構内に立ち入つた際に前記エンジンキーを取り外した旨の被告人の前記各供述部分は直ちに信用することができない。
しかしながら、被告人の供述調書によれば、被告人は前記のように判示北上営業所の表口から同車庫内に立ち入つたのち、同車庫南側板壁内側の東寄りに立てかけてあつた路線案内図を見ているうちに、バスのエンジンキーを取りはずすことを決意したことが明らかであり、原判決引用証拠中の被告人の供述にも、エンジンキーを取り外した時刻の点を別とすれば、右と同趣旨の供述部分が存するのであり、被告人の当審公判廷における供述によつてもこれを確認することができることに徴すると、被告人の供述中に見られる、同月二六日夜開かれた支部集会においてエンジンキー保管に関する意見も組合員から出されたところから、被告人が前記営業所内に立ち入る以前より、エンジンキーを抜いておこうという考えを抱いていたということは、まだ現実の行動と結び付かないいわば潜在意識の域を出ない程度のものとしてそのような考えを抱いていたとの趣旨に理解されるべきであつて、右供述部分があることだけから、被告人が同営業所に立ち入るに際し、エンジンキーを隠匿する目的を有していたと断定するには、なお、疑問の余地があるといわなければならない。そうして、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、被告人がエンジンキーを隠匿する目的をもつて同営業所内に立ち入つたことを肯認するに足りる確証は何ら存しないから、被告人が同営業所内への立入りに際しエンジンキーを隠匿する目的を有していたとする原判決の事実認定は証拠の価値評価を誤り、ひいて事実を誤認したものというべきである。
(二) 被告人の原判示北上営業所内への立入り行為の正当性について
(1) 証人八重樫與(原審第一〇回公判調書)、同菊地昌(同第一〇回及び第一一回公判調書)及び同桜庭健朔(第九回公判調書)の原審公判廷における各供述(以下「八重樫與証言」、「菊地昌証言」及び「桜庭健朔証言」という。)ならびに押収してある労働協約書原本(当庁昭和四一年押第一三四号の一)(以下「労働協約書原本」という。)によれば、昭和三六年九月から行なわれた労働協約改定交渉の過程において、会社側より、争議中に会社施設内への組合員の立入りを禁ずることを内容とする条項を設けるようにとの提案がなされた結果、労働協約における紛争処理に関する条項として、第七〇条第三項に「会社は争議行為中争議に参加する部外者及び組合員が争議のため立ち入ることを禁ずる個所を設定することができる。」との文言を用いた条項を含む労働協約書が同年一〇月一八日付で花巻バス株式会社取締役社長宮沢主計及び花巻バス労働組合執行委員長菊地昌によりそれぞれ調印されたこと及び右第七〇条第三項の文言が昭和三九年五月当時まで何ら改正されなかつたことを認めることができる。そうして、右文言を労働協約書原本全体と対照して字義どおりに解釈すると、右条項は、会社が組合の争議行為に際し、争議に参加する部外者及び花巻バス労働組合が争議のために立ち入ること(つまり、争議中の団体交渉を含まない。)を禁ずる個所を一方的に設定することができるとする趣旨であることが明らかであり、記録中の花巻バス株式会社取締役社長宮沢主計より花巻バス労働組合執行委員長あての昭和三九年五月二三日付「労働協約第七十条に依る通告について」と題する書面謄本、菊地昌証言により認められる右書面と同趣旨の書面が前記労働協約改定後における争議行為の都度会社より組合あてに送付されていたこと及び昭和三八年から会社各営業所に立入禁止を表示する趣旨のロープが張られるようになつたことという情況的事実をも考え合わせると、会社は、右条項にもとづき、通常寮舎に入居している者が平常の行動をとる場合を除いて、組合員のすべての会社施設の使用及び会社施設への立入りを禁ずることができるとして、その旨の通告を組合あてに行ない、かつ、各営業所に立入禁止を表示する趣旨でロープを張るに至つたものと認めることができる。菊地昌証言及び桜庭健朔証言によれば、前記労働協約改定交渉に際し、会社側より争議中における組合員の会社施設への立入りを禁ずる旨を労働協約に規定するようにとの提案がなされたが、折衝の結果、立入禁止の対象者を花巻バス労働組合員、同組合の上部団体役員及びバス企業関係の労働組合員を除く部外者に限定し、また、立入禁止個所についても主として会社社長室や本社事務室を対象とし、その都度労使間で協議することという了解が会社及び組合間で成立したものであつて、労働協約原本にある前記条項は右合意の内容と合致しないものであるというのであるけれども、労働協約原本の内容、及び労働協約における右条項の法的性質(つまり、右条項は会社と労働組合間の集団的労働関係を規制する労働協約のいわゆる債務的部分であること)ならびに前記認定の情況的事実に徴し、なお、証人川辺久男の原審公判廷(第七回公判調書)における供述(以下「川辺久男証言」という。)により認められる県南自動車株式会社と同労働組合間の労働協約における争議中の組合員の会社施設への立入りに関する条項の内容及び当審で取り調べた京福電気鉄道株式会社と京福バス労働組合間の労働協約における争議行為中の組合員の会社指定場所への立入りに関する条項の内容と対照すると、菊地昌証言及び桜庭健朔証言中の前記各供述部分は直ちに信用し難いといわなければならない。
(2) しかしながら、組合の争議行為に際し、会社が争議に参加する組合員の争議のためにする会社施設への立入りをすべて禁止するだけの実質的な必要性が果してあるのかどうかについては、記録及び証拠物ならびに当審における事実取調の結果によつてもかならずしも明確でないばかりでなく、かえつて、菊地昌証言、桜庭健朔証言及び八重樫與証言ならびに証人内山光雄及び同菊地寛二の原審公判廷(第九回及び第一〇回公判調書)における各供述(以下「内山光雄証言」及び「菊地寛二証言」という。)によれば、組合の争議行為に際しても、非常の災害に備えるため、あるいはストライキが予定の中途で交渉妥結により中止される場合の早期就業を容易ならしめるため、組合員が平常の職場に待機する必要があることが認められるうえに、証人本多淳亮の当審公判廷における供述(以下「本多淳亮証言」という。)及び被告人の当審公判廷における供述(以下「当審における被告人の供述」という。)によれば、花巻バス労働組合北上支部においては、管理者の了解を得て、原判示北上営業所内にある休養室を組合事務所として使用し、同室で支部集会を開催していたほか、同休養室前廊下の壁には組合専用の掲示板も設けられていたのであるから、会社の前記通告により右休養室への立入りをも禁ずることは不当労働行為とみることができる。
(3) さらに、片方秋雄証言、菊地寛二証言、八重樫與証言及び浅沼良治証言ならびに証人藤田友司、同伊藤哲夫及び同八重樫盛の原審公判廷(第八回、第七回及び第四回公判調書)における各供述(以下「藤田友司証言」、「伊藤哲夫証言」及び「八重樫盛証言」という。)に被告人の供述、記録中の片方貞昭撮影の写真三四葉を総合すると、前記労働協約改定後昭和三九年五月二七日午前〇時からのストライキに至るまでの間に、原判示北上営業所表口に立入禁止の表示を付したロープが張られた際にも、組合員が表口から公然と出入りを行ない、また、平常寮舎に居住する者以外の組合員若干名が争議期間中に寮舎に宿泊したことがあり、被告人も昭和三九年五月二七日午前一時ごろ同営業所に入り、午前二時半ごろより前記休養室に宿泊したが、同営業所長ないし次長より退去を求められたことはないこと、従来組合の争議行為中に会社本社あるいは営業所構内で組合の集会が開かれたこともあり、また、前記労働協約改定後昭和三九年五月二七日午前〇時からのストライキに至る経過において、ロツクアウトの通告ないし組合員に対する立入禁止の仮処分の執行がなされたことは一回もないことをそれぞれ認めることができ、当審における証人片方貞昭、及び同石川シゲ子に対する各尋問調書ならびに証人斎藤明の当審公判廷における供述及び当審における被告人の供述によつても、これらの事実を確認することができる。
右(2) 及び(3) に認定した事実関係に徴すると、前記労働協約第七〇条第三項にもとづいて、会社が組合に対して昭和三九年五月二三日付書面でした組合員の立入禁止に関する通告は、組合員に対するすべての会社施設への立入りを禁ずる旨の規制が各営業所ごとに徹底して実効が得られることを期してなされたものではなく、したがつて、右通告による組合員に対する拘束力はさほど強固なものではなかつたものであると解するのが相当であつて、右立入禁止の表示を付したロープが張られているのに、原判示北上営業所構内に立ち入つた被告人の行為は、労働協約違反の責任を生ずる点を別とすれば、立入りの目的を全く度外視して、直ちに刑法第一三〇条前段にいわゆる「侵入」にあたるとするだけの可罰的違法性を有するものと断定することはできない。
(三) 被告人のエンジンキー保管行為の正当性について
(1) 菊地昌証言、伊藤哲夫証言、桜庭健朔証言、内山光雄証言、川辺久男証言、八重樫盛証言、浅沼良治証言及び被告人の供述によれば、花巻バス株式会社における組合員の労働条件は、勤務時間、休日及び休暇、初任給及び昇給率等において、私鉄総連加盟の他の組合に属する組合員の労働条件に比し低劣であつたところ、花巻バス労働組合は私鉄総連傘下組合の統一闘争として、昭和三九年一月末ごろより基本給一律四、〇〇〇円引上げ、調整額として一、一四〇円支給を内容とする要求をかかげ会社と団体交渉に入り、その間地方労働委員会による斡旋案の提示もなされたが会社の受諾するところとならず、容易に妥結に至らないため、同年五月二四日及び同月二七日にそれぞれ二四時間のストライキを行なつたところ(同年四月一七日に予定されていたストライキは中止された。)、会社側は同月二四日のストライキ中の同日午前六時すぎごろ、同会社整備部長である八重樫盛を指揮者として原判示北上営業所にいわゆる職制数名を派遣し、同営業所車庫に格納中のバス約八台を数分のうちに始業点検も行なうことなく同車庫より搬出して、他の営業所より搬出したバスとともに定期路線の運行にあたらせ、当時右北上営業所内の寮舎に男女あわせて十数名の組合員が居合わせたのに、右車両搬出を阻止するためのピケツトを行なうだけの時間的余裕もなかつたこと、昭和三六年一〇月に改定された花巻バス株式会社と花巻バス労働組合間の労働協約には、紛争処理に関する条項として、組合側の提案にもとづき、第七〇条第六項に「会社は争議期間中組合員以外の他のいかなる個人又は団体とも労務供給契約をしない。」旨及び同条第七項に「会社は業務上の命令その他に依つて争議行為を防害(「妨害」の誤記と認められる。)しない。」旨の文言の規定がおかれたことがそれぞれ認められ、これらの事実は当審における事実取調の結果によつてもこれを確認することができる。
ところで、憲法第二八条が保障する労働者の争議権は、憲法第二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、労働者に対して人間に値する生活を保障すべきものとする見地に立ち、経済上劣位に立つ労働者に対して実質的自由と平等とを確保するための手段として保障されているものであり(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇五頁参照)、その労働争議の態様は、とくに同盟罷業において労働者の集団的な労務提供の拒否を本体とするものであることに疑問の余地がないけれども、その結果として必然的に業務の正常な運営の阻害を来たすものというべきであり、かつ、労働関係調整法第七条の法意に照せば、労働組合がその主張を貫徹するために又は使用者の行動に対抗して、正常な業務を阻害することに争議行為の本質があると解するのが相当である。もとより、使用者は、労働組合の争議行為中といえども、労働協約に格別の定めがない限り、合理的と認められる範囲内で操業の自由を有し、労働組合の争議行為に対抗して、操業の継続をはかるための措置をとることができるのであつて、労働組合が争議行為として行なう業務阻害行為が正当な争議行為とされる限界は、このような使用者と労働組合の相互の対抗関係において、争議行為の目的、経緯及び態様、使用者に対する侵害の程度等に照らし、社会通念に従つてこれを定めるべきものと解すべきであり、たとえば、使用者の操業継続により、業務の阻害を本質とする労働組合の争議行為が全く実効を欠くものとなるときは、憲法第二八条の法意にかんがみ、社会通念上許される限度において、労働組合は、争議行為の実効性を確保するため、使用者の操業継続に対する対抗手段をもとることができるものと解するのが相当である(なお、最高裁判所昭和三一年一二月一一日第三小法廷判決、刑集一〇巻一二号一六〇五頁参照)。
ひるがえつて、前記労働協約第七〇条第六項及び第七項の趣旨とするところを考察すると、桜庭健朔証言、伊藤哲夫証言、内山光雄証言、菊地昌証言及び本多淳亮証言によれば、右条項は会社が争議期間中に組合員以外の個人又は団体とあらたに労務供給契約を締結することばかりでなく、すでに雇用中の非組合員又は第二組合員に対し組合員に代替して業務に従事させることをも禁じた趣旨であるというのであるけれども、前記第七〇条第六項は文理上会社があらたに労務供給契約を締結することを禁じたものと解するのが相当であり、また、前記第七〇条第七項は文言がはなはだ抽象的であつて、非組合員又は第二組合員に対して代替業務に従事させることをも禁ずる趣旨であるとはにわかに断じ難いところである。しかしながら、前記各供述によれば、昭和三九年五月当時において花巻バス株式会社には花巻バス労働組合に所属しない第二組合員が約四〇名あつたことが認められ、前記認定のように、組合の争議行為中にいわゆる職制あるいは第二組合員により車庫内に格納中のバスの搬出及び定期路線の運行がなされるままに委せるときは、会社の正常な業務を阻害することを本質とする組合の争議行為は全くその実効性を失い、憲法第二八条が争議権を保障した趣旨を没却するに至るものといわなければならない。
(2) 片方秋雄証言、藤田友司証言、伊藤哲夫証言、浅沼良治証言、被告人の供述及び被告人の供述調書ならびに押収してある私鉄新聞花巻版速報第四三号(前同押号の一)によれば、被告人は、昭和三九年五月二四日午前〇時からの二四時間ストライキに先立ち、原判示北上営業所長であつた藤村賢四郎に対し、昭和三八年一二月中における労働協約改定闘争として行なわれたストライキに際しいわゆる職制及び第二組合員による車両運行がなされたこと及び同三九年四月一七日に予定されたストライキを前にして同様な車両運行のための準備措置がなされたことから、同年五月二四日の右ストライキに際して、いわゆる職制ないし第二組合員による車両運行が行なわれることがあるかどうかをただしたところ、これを否定する旨の確答が得られたのに、当日従来にない規模で前記認定のような車両の搬出及び運行がなされたため、同所長に対し抗議するとともに、花巻バス労働組合北上支部長として自責の念にかられていたこと、同月二七日午前〇時からの二四時間ストライキに際しては、労使間の交渉により、当日はいわゆる貸切車一〇台を運行するにとどめ、会社は他の車両の運行を良心的に行なわないこととなり、その旨組合闘争委員長菊地昌より各支部闘争委員長あて連絡がなされたが、右連絡には同月二六日夕刻より会社の動きを注視すべき旨も包含されていたこと、同月二六日勤務終了後に前記北上営業所における宿直勤務についた藤田友司は同所次長である浅沼良治より同月二七日午前〇時よりも早い時刻に宿直勤務を交替してもよい旨の申出を受けたところから、藤田友司は同営業所内休養室で開かれていた支部集会の席上この旨を連絡したうえ、花巻バス労働組合北上支部副支部長である片方秋雄より右申出にかかる宿直勤務の交替はいわゆる職制ないし第二組合員による車両搬出の危険を伴うとして浅沼良治にこれを拒否したこと、被告人は右支部集会において組合員より争議戦術としてエンジンキーの保管をしてはどうかという意見も出されたことや藤村所長や浅沼次長が当日落ち着かない様子に見受けられたことから、同月二七日午前〇時からのストライキに対抗して、会社がまたもいわゆる職制ないし第二組合員による車両搬出の挙に出るのではないかを危惧したため、いわゆる職制ないし第二組合員の前記営業所内への立入りを警戒して、同月二六日午後一一時ごろから同営業所構内や国鉄北上駅前付近あるいは後藤屋食堂付近を見廻つたが、いわゆる職制ないし第二組合員の姿を発見するに至らなかつたものの、同月二七日午前一時ごろ後藤屋食堂の経営者である後藤忠司が深夜にもかかわらず同営業所を訪れたことにますます不審を抱き、間もなく立入禁止の表示を付したロープが張られていた同営業所表口からロープをくぐつて同車庫内に立ち入つたが、エンジンキーを取りはずしておけば、いわゆる職制ないし第二組合員によるバスの搬出を阻止することができるとして、同車庫東側に格納中の二台分についてはエンジンキーに番号札がついていたため、これを着衣のポケツトに納め、車庫内南側に格納中の三台分についてはこれを各車内のスピードメーター上に置き、暫時は火災その他の非常災害のことをも慮り、車内で一夜を明かすつもりでいたが、余りの寒さに耐えることができなかつたため、車外に出て同車庫南側板壁内側の東寄り付近に立つていたところを同人らに見付けられ、同人らに伴われて同営業所事務室に入室したうえ、同人らにいわゆるスト破りの監視のため同車庫内に立入つたものであることを説明するなどして暫時を過ごしたのち、同営業所内休養室で宿泊したこと、同月二七日午前六時すぎころ浅沼良治にエンジンキーを知らないかと聞きただされたため、当時同営業所寮舎に宿泊した相当多数の組合員も起床している状況にあつたこともあつて、みずから保管中の二台分のエンジンキーを浅沼良治に返還し(浅沼良治証言及び後藤忠司証言中右エンジンキーの返還時刻に関する供述は信用することができない。)、車内に置いてあつた三台分のエンジンキーを被告人がみずから各車両に赴いて旧に復したことをそれぞれ認めることができ、また、桜庭健朔証言及び記録中の昭和三九年五月二一日付「争議行為に関する通知」と題する書面謄本によれば、いわゆる職制ないし第二組合員による車両搬出を阻止するために被告人がした前記エンジンキーの保管は、昭和三九年五月二七日午前〇時から行なわれたストライキに関する指令に何ら違反するものでないこと及び八重樫盛証言によれば、被告人の右エンジンキー保管により同月二八日における車両運行に何ら支障を来さなかつたことが明らかであつて、これらの事実関係は当審における事実取調の結果によつても確認することができる。
(3) (1) で説示した憲法第二八条の法意及び争議行為の本質にかんがみ、(1) 及び(2) で認定した事実関係に徴して、被告人の原判示北上営業所表口からの立入り行為を考察すると、右行為は、右立入りに先立ち、被告人が、同車庫内に格納中のバスのエンジンキーを保管しようという目的を有していなかつたとした場合はもちろん、かりに右目的を有していたとしても、刑法第一三〇条前段にいわゆる「故ナク建造物ニ侵入」したことにあたるとするだけの可罰的違法性を有するものと断定することはできない。
してみると、被告人の右立入り行為を目して、エンジンキーを隠匿する目的で不法に前記車庫内に侵入したものと認定した原判決は事実を誤認したものというべく、この事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局理由がある。
四、そこで、その余の控訴趣意に対して判断するまでもなく、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に則り、さらにつぎのように判決する。
本件公訴事実は原判決の判示事実と同一であるが、前説示のように、被告人の判示営業所車庫内の立入り前に被告人がエンジンキーを隠匿する目的を有していたことないしは右立入り行為が刑法第一三〇条前段にいわゆる「故ナク建造物ニ侵入」したことにあたるとするだけの可罰的違法性を有していたとの点について、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、これを肯認するに足りる確証がなく、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条により無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 有路不二男 西村法 桜井敏雄)